両親から言いにくそうに「金を貸してくれないか」と切り出された。
私の実家は貧乏だ。
持ち家なんてあるわけもなく、片田舎のボロアパートが実家。進学するには奨学金を借りるしか選択肢がなかった。
それでも親なりのプライドがあるのか、これまで私に金銭的な支援を求めることは一度もなかった。慎ましく暮らしていたものの、最近親類が亡くなり相当の出費が続いたためいよいよ首が回らなくなったらしい。
身構えながら足りない金額を聞いたところ、そこまで大きな額ではなかったのでその場で振込をしたが、大きな金額ではなかったがゆえに、両親がいかにぎりぎりの生活を強いられているのか思い知らされてしまった。
同世代で、来月の生活費が出せないほどかつかつの生活をしている親がいるだろうか?
奨学金を借りている人すら私の周りにはいなかった。奨学金を借りていると言っただけで級友に「苦労人なんだね」と哀れまれたこともある。
今や大学生の2人に1人は奨学金を借りているらしいので、たまたま私の周りには恵まれた人が多かったのかもしれない。
私が食費を削るため学校から無料で配られた期限切れのカンパンを食べているとき、友人達は潤沢な仕送りを元手に遊び回っていた。お金がなくて誘いを断らなければいけないのは惨めだった。
しかし私は就職しても貧困から抜け出すための努力はしなかった。もらった給料はあるだけ使っていた。
惨めさを感じていても、貧困から抜け出すために行動できないのが貧困者と富裕層との一番の違いだと思っている。
そもそも余裕がないのもあるが、お金を貯めたり、運用する知識がない。お金を育てる仕組みを知らず、刹那的で、何年・何十年先のことまで考えられない。
富裕層というのは代々お金を増やすための知識の積み重ねがあり、貧困者とはマインドからして異なっていると思う。
一応書き添えておくが、私の両親は決して毒親ではない。貧乏になったのは病で失業したせいであり、その後も自暴自棄になることもなく必死に働き、今に至るまで最大限私の意思を尊重してくれている。理不尽に怒りをぶつけられたこともないし、家族仲はとても良い。
ゆえにやるせない。
「世の中は不公平だ」「国や政治家が悪い」とどこかずれたメッセージを発信したいわけではない。世の中はそもそも不公平なものだし、国の公的な制度には両親も私もたくさん助けられてきた。
奨学金だって、借金には違いないが利率の低さを考えれば非常に良心的な制度だと思う。日本に生まれていなければとっくにのたれ死んでいた自信がある。
「配られたカードで勝負するしかない」というピーナッツの格言は好きだ。
それにしたって、私の配られたカードは弱すぎやしないか?と時折愕然とすることがあるのだ。
私はがんの治療で生殖能力を失った。私の代で血が終わることが確定しているため貧困の「ループ」に陥る可能性は消えた。次の世代にまでこの業を背負わせる必要がなくなったのはむしろ良いことだと思う。
遅まきながら始めた貯金と資産の運用で、せめて年金受給者となるその日には自分の蓄えでそこそこの生活が送れるようになれればいいと思うが、こればかりはその時になってみないとわからない。こまめに家計簿をつけ、なるべく出費を抑えて地道な貯金をしていても、こういった不可測の出来事により一瞬でお金が消えるのを見ると今後貯金する意味なんてあるのか?という思いも湧いてくる。
いや、むしろ不可測の出来事に対処するために貯金が必要だと頭ではわかっている。
久々にこの世の無常に思いを馳せてしまった。
まとまらない文章失礼しました。